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くま&ウッキーの
秋山豊寛「農のある暮らし」からお金に換算できない労働
2012-06-29 Fri 11:33
農のある暮らしは、その時点で、比較的自分の時間の王様になる暮らしのスタイルです。
もちろん、勤め人であった頃に比べてという、比較の問題ではあります。
勤め人の人は、賃金をもらうために譲り渡した時間がありました。
賃労働の時間とでも言うことが出来ます。それ以外が自由時間です。

今は賃労働ではないと言う意味で、全てが自由時間です。しかし、金を稼ぐ必要はあります。
その時間がいわば賃労働に当たるわけですが、そうなると、農に関わる作業のどこからどこまでが
賃労働にそうとうする部分になるのかの判定は難しくなります。

つまり自給ですから、自分食べるための行為に値段をつける必要はありません。
私にとって苗を育て、田植えをし、あるいは田を起こして肥料をやり、更に草取りをして収穫して脱穀
して精米というプロセスは、そのあとの米を磨いで炊くという行為までの前段です。

炊事を賃労働換算することは、普通ではありません。食事の支度は労働であっても勤めではないからです。
つまり私にとって稲を育てることは食事といわれる行為の一部でありますが、勤めではありません。
その行為をお金に換算すること自体、無意味なことです。

自分で食べるものを作るという行為そのものよりも、考え方が贅沢なのでしょう。
時間を自分の判断で使うのも贅沢といえばそうも言えます。
お金に換算されない贅沢こそ本当の豊かさなのではないでしょうか。    秋山豊寛

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自分は今居宅介護の仕事をしてます。
障害者と一対一のことが多いです。団体で活動することが苦手なのかもしれません。
こつこつと自分ひとりで動くことが集中できて、私にはいいようです。

やり方さえわかったらひとり仕事があっているみたいです。
田舎暮らし、自給自足の方向はあっているといっていいでしょう。     熊谷章三

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大地を耕すことが、自らの精神も耕し、鍛え、心を強くすることでもあるような手ごたえがあります。
農作業そのものに、お金に換算されない価値が豊かに偏在していました。
早春、乾いた大地を起こす作業中に流れる汗は、生物である自分を心地よくします。
早朝の草刈の甘い香りに値段をつけるのは難しいでしょう。
田の草刈の合間に見かける様々ないきものに視覚そのものが感じる心地よさは、いったい何なのか
安心は必ずしも結果としての農産物が与えてくれるのではなくそのプロセス全体が与えてくれる。

食物の安全と安心を求める意識と行為は私自身の五感を鍛えてくれます。
感覚が鋭くなり、かつ拡大することは私の世界をさらに豊かにしてくれるものでした。
月も星の光もない曇天の夜は縁側に座ると、昼間はかき消されている裏山の沢水の音が響いてきます。

野うさぎが狐に追われて踏む枯れ枝の音が聞こえます。
家の正面の樹木は朝日が差し始めるほんの数分間に、太陽の光を分解し分散させる大気中の水滴のように、
虹色に輝きます。
夜の闇の底で音を集め、朝日の光のうちに色を集める行為は、時間を豊かにしてくれるものです。
これは作って食べる暮らしなしには、あり得なかった安心の中身です。  秋山豊寛

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